照れくさいけど…恋愛中、手紙に想いを書いてみよう!9つの効果
最近はずいぶん便利になったものだなあと思います。筆者がはじめて携帯電話を持ったのが高校生の時。自宅固定電話しかなかった時代から、個人の電話を持つ時代へと変わった瞬間でした。
友達へ連絡するのも、今までは自宅へ電話するか、家まで訪問するしかなかったのが、メールひとつですぐ伝わってしまうので、時間の短縮にもなりますし、手間も省けます。
これは、かつて移動手段が徒歩か馬しかなかったものから、車や汽車が出現し、そこから電車や新幹線、さらには飛行機と言った、大きな進化の過程の一つだと思います。
時代はどんどん進み、思いもしなかった便利な生活ができるようになりました。気がついていないかもしれませんが、今の当たり前は昔は当たり前ではなかったのです。
だから、どんどん進化するにつれ、不便だった時代は忘れられてしまいます。携帯電話を家に忘れた時、心細いのは、現在と過去の差の大きさに戸惑ってしまうからです。
しかし、いくら進化したとしても、ご飯を食べなければいけませんし、眠らなければいけません。トイレにも行かなければなりませんので、人間そのものは変わってはいません。
人間が変わっていないのに、そのまわりばかり変化して便利になって、何か「どこかに置き忘れてしまったもの」はありませんか?
新幹線の移動は早くて便利ですが、果たしてゆっくり車窓の風景を眺めることはできたのでしょうか。気がついたらもう目的地に到着していた、ということはありませんか?
メールや電話、LINE、SNS、言葉はどんどん直接的になって、ただの記号に戻りつつあります。伝わったつもりでいても、それは本当に伝わっているのでしょうか?
仕事は記号化した方がいい面もあるのでしょうが、人の気持ちはメールでは伝わりません。ただの記号ではないからです。
そこで、今回は「手紙に想いを書いてみよう!」ということで、たまには自筆で手紙を書いてみると、こんな効果があるかも?をご紹介します。
今は片思い中の人、交際中の人、結婚を控えた人など、様々な今の複雑な心境を、手紙でなら伝えることができるかもしれません。
1、片思いのラブレター
放課後、自分の下駄箱を見ると、靴の上にラブレターが…!なんて、そんなドラマや漫画みたいな展開は経験のない筆者ですが、そうやって手紙をもらってる子は確かにいました。
今は小学生でも携帯電話を持つ時代。手紙をこっそりやりとりするより、メールアドレスを聞いて、もしくは電話番号を聞いて、そこから連絡する方が手っ取り早いのは確かです。
しかし、なんだかそれって、昔と比べるとずいぶんインスタントになった気がします。手紙を書いて、おっかなびっくり下駄箱まで置きに行く…というプロセスはなく、メールを打ったら送信ボタンを押すだけ。
確実に彼に届きますし、恐らく返事もメールで来るんでしょうが、その分現実味が薄いような気がするのは筆者だけでしょうか。
データと現物
なぜメールだと無機質に感じるのでしょうか。また、手書きだったら、お絵かきソフトで書いて、その画面を送信すればいいじゃん?と思う方もいらっしゃると思います。
確かに受け取る側は、情報として受け取り、内容は把握できます。手書きで書いたものを画像で送ってもらっても、そう思うでしょう。
では、何が違うのかというと、例えば、カードゲームがあります。様々な種類のカードがあって、レアカードやキラキラカードがあり、男の子はカードバトルする為に強いカードを欲しがります。
どうしても欲しいカードがあって、交換してもらったり、おこずかいを貯めて買ったりします。しかし、そのカードゲームが今度はオンラインになりました。
画面上でカードを受け取り、画面上で管理します。同じ絵柄のカードもありますし、ゲームできることには変わりはありません。
ただ、そのゲームをしばらくやらなくなって、思い出した時に、強く印象に残るのはどちらでしょうか。恐らく、オンラインゲームよりも、実際に手に入れたカードを強く覚えているのではないでしょうか。
これは、画面上で手に入れたデータとしてのカードより、本物のカードを手にした方が「手に入れたい!」という欲求が満足するからです。
気持ちは紙に出る?
これあげる、と言われて、写真に写ったクマのぬいぐるみをもらうのと、実際にクマのぬいぐるみを手渡されるのでは、大きな違いがあります。
なんでもかんでもデータ化してしまうのがいい、ということではないようなのです。そこで、アナログな方法ですが、手紙です。
得に片思いの場合、溢れんばかりの好きな気持ちを、メールにまとめるのは簡単でしょうか。文章に起こす、という意味では楽かもしれません。
けれど、出来上がったメールの画面をハートでいっぱいにしても、まだまだこんなんじゃない!と思いませんか?
そこで、不器用なのを承知であえて手紙を書きましょう。字が下手でも文章が変でも大丈夫です。メールと違って心をこめることができるので、手紙をもらった彼は、それこそレアカードを手に入れた気分になります。
手紙を書く為に使った時間、悩んで書いた手間、それらが紙に凝縮されるからです。必ず両思いになれるわけではありませんが、少なくともメールよりは想いが伝わるはずです。
2、手紙を書ける=大人
ビジネス用のメール文章などと言って、目上の人に送るメールなどにも決まりがあります。しかし、実際はメールというのは簡易的なもので、本来は手紙と決まっています。
重要な書類は必ず文書として紙で作成し、保管しておくものです。つまり、メールはあくまで略式の伝達方法で、正式には認められていないということです。
奥行きのある女になる
今後、そのあり方がまた変化するかもしれませんが、現段階では「重要なものは文書で」という形となっています。何か契約する時も必ず、自筆のサインと捺印が必要なのです。
そこで、実際に手紙を書く際、拝啓から始まって、敬具で終わる文面のものを書いたことがあるでしょうか。季節の挨拶や決まり文句を使いながら、近況の報告やその後の安否などを心配する内容のものです。
もし、友人への手紙のように「○○ちゃんへ」など、砕けた文章のものしか書いたことがないのであれば、少し改まった手紙の書き方を勉強してみてもいいかもしれません。
というのも、手紙が書けるかどうかは、礼儀作法がきちんとできるかどうか、という判断材料となります。今はさほど重要視されなくなりましたが、社会人としてのマナーの一つでもあるのです。
茶道や華道までできなくても、せめて手紙くらいは書けるようになりたいものです。いざという時、さらさらと手紙が書けるようになれば素敵な女性と思われるでしょう。
男性は大人っぽい女性が好き?
多くの男性は、自立した女性を好みます。可愛くて守ってあげたい反面、自分一人できちんと生活しているたくましさを持った女性に惹かれるようです。
その中に、礼儀やマナーも含まれています。腕の力はない分、賢く世の中を渡っていける強さ、それが女性の魅力となるのです。
メールは簡易的なもの、ということは、いくらたくさんメールを送っても、紙一枚には匹敵しません。まして、目上の人であれば、メールや電話で済ますことが失礼にあたることもあります。
そこで、大人っぽく魅力的な女性である為にも、日頃から、重要なものほど手書きで、という癖をつけておくのがいいでしょう。ちょっとしたことでも、手書きのものを手渡されると「簡易的な扱いを受けていない」と相手は思います。
面倒ですし、手間も時間もかかると思いますが、一つの処世術として手紙にこだわることも重要なことかもしれません。
3、プレゼントに手紙を添えて
便箋と封筒を用意して、ペンもボールペンではなく万年筆で…と、堅苦しく考えていると日が暮れてしまいます。
普段はメールでやりとりしている彼に、一言手紙で伝えたい時はメッセージカードで十分でしょう。それも、バレンタインや誕生日、クリスマスのプレゼントと一緒に渡すのです。
たまにあることだから
以前、筆者は高校時代、友達と授業中に手紙の交換が流行っていました。小さな紙に、なんでもないことを書いて回して、読んで返事を書いて回して…という感じです。
一日のうち何通も書くので、そのうちネタがなくなって、先生の似顔絵や、しりとりなど、全く手紙でなくてもいいようなことを書いて遊ぶようになりました。
このように、なんでもやりすぎて限度を超えると、内容が薄くなります。一年毎日もらう手紙より、年一回もらう手紙の方が記憶に残るのです。
そこで、彼へのプレゼントの時、メッセージを一言添えてみましょう。「いつもありがとう、大好き」でも構いませんが、できるなら、いつも言えないようなことを織り交ぜるといいでしょう。
「いつも一緒にでかけてくれてありがとう。私が風邪をひくとすごく心配してくれて、本当はすごく嬉しいよ。○○くんに心配かけないように頑張るからね。これからも大好きだよ」
このように、今まで実際あったエピソードを入れつつ、普段はなかなか言えないような言葉を入れると、もらった人は「本当はそうだったんだ!」と思います。
これが、「気持ちが伝わる」ということではないでしょうか。恥ずかしいことを書く、というのはハードルが高いかもしれませんが、それを乗り越えるとようやく本音が相手に伝わるのです。
プレゼントに頼る方法
また、「手紙書きたいけど、急に手紙書いて渡しても、変だと思われるじゃん!」という方もいらっしゃると思います。ごもっともです。
では、プレゼントに頼るのはいかがでしょうか。例えば、バレンタインであれば「チョコを渡す」という大義名分があります。義理チョコだとしても、相手にあげることには変わりありません。
ちょっと恥ずかしいけど、普段言えないようなことも、プレゼントと一緒なら渡せるかもしれません。貰う方も自然に受け取ることができます。
4、何気ない一言
手紙を書くほどのことじゃない、でもメールじゃ気持ちは伝わっていないし、直接話すと喧嘩になりそう…こういうこと、ありませんか?
ちょっと都合があわなくて、デートの予定がキャンセルになってしまった。メールでは謝ったし、会って話もしたけど、なんとなく不機嫌な彼…何度もごめんと言ったけど、許してくれない様子。
これは、もしかしたら、ごめんという気持ちが伝わっていないからかもしれません。軽くあしらわれているような気がすると、疑心暗鬼になってしまうものです。
付箋やメモを使う
こんな時に改まった手紙を自宅に郵送するのは、よくないかもしれません。彼もそこまでことを荒立てたくないはずです。なんとなくもやもやしている状態なので、火に油を注ぐことにもなりかねません。
そこで、ちょっとした一言なら、付箋やメモでもいいでしょう。一言「ごめんね」と書いた付箋をみれば、彼はその意味を考えるでしょう。
メールでも、電話でも言える言葉を、手書きの紙で目の前に差し出されることによって、その重みがやっと現実となるからです。
本当に伝えたい気持ちは、時に面と向かっても伝わらないことがあります。ちょっとした何気ない一言ほど、紙に書いて伝えると伝わることがあるかもしれません。
5、好きだけじゃない
一言に「好き」とか「愛してる」と言っても、その一言で表せるほど人の心はシンプルではありません。どういうところが好きなのか、なぜ好きなのか、それもよくわからないけれど、複雑なものが絡み合って「好き」になっていると思います。
余韻を持たせること
手紙は、長く書けばいいというものではありません。便箋で10枚もの手紙が届けば、読む方も大変です。かと言って、一枚の便箋に挨拶文しか書いていないのであれば、何の為の手紙かわかりません。
そこで、適度な長さにまとめなければなりません。通常、便箋でなら2枚から3枚程度。字は大きすぎても小さすぎてもいけません。内容も簡潔にまとめる必要があります。かと言って直接的な表現は避けたほうが無難です。
こう言うと、とても難しく思えますが、注意する点は以下の4点です。
- 書きたい内容を2つか3つに絞る
- 一つの事柄に深く書かない
- わからないことは推測して終わる
- 詳細は会った時に話すことにする
たくさんは書けませんから、短くまとめるようにします。書きたい内容を絞り、それ以外は書きません。また、一つの事柄にも数行しか書けませんので、あまり深く書きません。
質問はあまりできません。質問すると、返事を催促しているように感じられます。質問ではなく、「○○でしょうか」「○○のことと存じます」というように、推測した形で終わります。もし違っていたら、きっと「違います」と返事をくれるでしょう。
手紙は詳細を全部伝えるツールではありません。メールのように、情報のやりとり、というより、届けるのは気持ちです。
本当は詳しく知りたいことはたくさんあるけど、今度会った時にお話聞かせてね、「会いたいね」という気持ちを伝えるものです。
書いてあることが近況や天気のことであったとしても、その手紙を受け取ることによって「会いたい」「好きだ」という隠れたメッセージを読み取ることができます。
そこで、手紙は暗号のように機能します。直接「好き」と書くより「あなたを思うと胸が苦しいです」と書かれてあった方が、深みが出るのです。これが余韻です。
手紙に書かれてあった文そのものより、手紙を書いた人が何を思って書いたのか想像する。これによって、単純な「好き」「愛してる」という薄っぺらい言葉だけでは伝わらない複雑な気持ちを相手にも理解してもらえるのです。
6、卒業式や結婚式…涙の訳?
よく卒業式や、結婚式などの場では、手紙に書いたものをその場で読み上げるというものがあります。花嫁が両親に向けて書いた手紙や、卒業生が先生に書いた手紙。
これらは、なぜ涙を誘うのでしょうか。どうして手紙でなければならないのでしょうか。これは、口語体と文語体の違いによるものではないでしょうか。
文語体だから伝わるもの
口語体とは、話し言葉のこと。普段我々が会話に使っている言葉です。文語体とは、主に文章を書くときに使う言葉。同じじゃないの?と思われるかもしれませんが、実は少し違います。
例えば友達に天気がいいみたいだから、週末は遊びに出かけようか、と誘うとします。電話の場合は、
「週末さ、天気いいんだって!どっか遊びに行こうよ!」
と、ちょっと砕けた感じになります。これは言葉以外の抑揚などからも感情を表現することができることから、伝えるという意味ではこの方がわかりやすい表現となっているからです。しかし、もし文章で伝える場合。
「週末は天気がいいそうです。遊びに行きませんか?」
なんだか少し、あらたまったように感じるかと思います。これは、文章だけで相手に誤解されないように表現しなければならないので、型にはめた文章で書いているからです。
文章はその場でのやりとりではない為、誤解を受けやすいです。その為、慎重に作らなければなりません。また、簡潔にまとめる必要がある為、「だよね」とか「じゃん?」など、軽い語尾は省略しなければならないのです。
口語体は、現在の気持ちをそのまま伝えるもの。文語体は、いつ読まれても正確に伝わるように書くものです。それによって、ごちゃごちゃとした表現を省いてすっきりした文体になり、伝わりやすくなると考えられます。
客観的な表現が涙を誘う
このように、すっきりした文体の手紙を用意して、卒業式で読み上げます。今までお世話になった先生方、本当にありがとうございました…、普段は使わない言葉で感謝を述べます。
けれど、普段使ってない言葉なんて、それ自分の言葉じゃないよね?と思われるかもしれません。そうなんです。手紙に書いた文語体を読む=いつもの自分じゃないんです。
いつもの自分は、普段は口語体で砕けた文章を使用します。しかし、文語体になると自分をあたかも客観的に表現しているかのように書くことができるのです。そこで、いつもの頼りない自分から、ちょっと成長した自分、というギャップを生みます。
卒業生なら「自分はこんな文章も書けるようになりました」ということにもなりますし、新婦であれば「もう立派な女性なのでお嫁に行っても大丈夫です」ということになります。
勝手知ったる仲だから、砕けた手紙でもいいよね、と思ってしまいがちですが、もらった彼がちょっとぐっと来るには、あえて文語体で手紙を書いてみるのもいいかもしれません。
7、いつまでも残るもの
もらったメールはどのように保存しますか?大切なメールも、そうでもないメールも、メールボックスから出すことはないと思います。
やはり、どうしても残しておきたい!というメールは、紙に印刷してファイルに残しておく…というのは筆者だけでしょうか。
時の流れに埋没するもの
以前持っていた携帯電話は、機種変更する時にメールは全て削除しました。重要なメールもあったはずなのですが、その時の用は終わっていましたし、読み返すことはしませんでした。
こうして今思い出そうとしても、さっぱりどんなメールだったか思い出せません。ただ、重要と書かれたメールボックスに分類していただけで、本当はそんなに重要ではなかったのだと思います。
こうして、メールとして確かにあったものでも、忘れてしまえばなかったものと同じになります。電話した内容だって、時間が経てば忘れてしまいます。
しかし、手紙は違います。の手紙は残るもです。もし、100年くらい経って、私たちの生活を探ろうと誰かが発掘した中に携帯電話があっても、その時にはデータは復旧できないかもしれません。
ですが、手紙は現存していれば誰かが読みます。ソフトはハードがなければ読めませんが、手紙は手紙であるだけで文字を解読できれば、時間が経っても価値は消えません。
気持ちも残るもの
発掘された歴史上の人物の往復書簡など見ると、歴史的背景やその時の心情が綴ってあって大変面白いものですが、我々が書く手紙だって、大層面白いものに違いありません。
試しに彼に向けて、どれだけ好きかという想いを手紙に書いてみましょう。好きで好きでたまらない、夜も眠れないと書いてみましょう。
しかし、それを10年後、彼が読んでみた時に、どう思うでしょうか。または20年、30年後には、どのように感じるでしょうか。
手紙にはその時の気持ちが残ります。まるで気持ちの写真のようです。その手紙を読むことによって、レコードに針を落とすがごとく、当時の気持ちが再生されるのです。
もちろん、20年後も好きで好きでたまらない、かもしれませんが、同じ気持ちでいることはできないのです。黙っていても今という時間は残せません。必ず風化してしまいます。メールと同じです。保管してると安心しても気が付けば残っていません。
手紙は、ただの紙に文章を書くだけのものではない気がします。それは、彼の手に渡った時、読み返した時、保存して残っていた時、価値が出てくるものなのです。
8、いい点、悪い点
しかし、手紙だから全ていい!ということではありません。メールや電話はやめて全部手紙にしよう!と思っても、きっと不便になるだけでしょう。どちらもいい点悪い点がある為、うまく使い分けて活用しましょう。
手紙のNG
手紙は残ります。しかも、その人個人に宛てて書いたものでも、ほかの人が読むこともできます。もし放課後、彼の下駄箱に入れたとしても、ほかの人が勝手に読まないとも限りません。
ここで注意したいのは、メールと同じような文面で書いてはいけない、ということです。つい、メールのようにストレートな表現をしがちですが、誰が読んでもすぐ伝わるような手紙では、誰か悪意のある人の手に渡って悪用されないとも限りません。
もし片思い中の女子中学生が、Aくんに「好きです!付き合ってください!」という手紙を書いたとしましょう。Aくんが読んでいる横からBくんが覗き込み「こいつラブレターもらったぞ!」と大騒ぎ。噂になり恥ずかしい思いをします。
この場合、「好き」や「付き合ってください」という表現は避け、「Aくんと一緒にいると楽しいです」「もっと同じ時間一緒にいれたら、もっと楽しいと思います」など、どっちともとれる表現でやんわりと書きます。
もし教室でみんなの前で読み上げられたとしても、平気なくらいの文章で、かつ彼には伝わる表現にとどめておくと、手紙としての効果を発揮します。
また、もう一つのNGとしては、感情的な手紙はNGです。手紙は自分一人で書く為、もし抑えられない怒りを手紙にぶつけたとしても、一時的な感情にも関わらず、形を得てしまいます。
憎い!ああしてやりたい!こうしてやりたい!など、恨みつらみを綴った手紙も、人の手に渡ってしまえば人の物。
悪意をもってそれを拡散されたり、何かの証拠になってしまわないとも限りません。紙に書いた時点で感情は本物となります。
絵に書いたナイフも、受け取った人には本物に見えてしまうこともあります。特にマイナスの感情の場合、頭に思ったことをそのまま書きなぐってしまうことは恐ろしいことなので、もし書いたとしても相手に見せないことが重要です。
10年後にもし自分が読んで、それでも納得できるような手紙だと思ったら、相手に送るようにしましょう。
9、本音は手紙なら書ける
ところで、本音というのは心のどこにあるのでしょうか。普段、食べ物は好き嫌いしてはいけない、とか、お年寄りには席を譲らなければいけない、とか、決まりごとが多くてそれに従うことが多いと思います。
本当はトマトは嫌いだけど食べなければいけない、本当は座りたいけど席を譲る、という感じで、いつのまにか自分の本音など無視して「そういうもんだ」と納得していませんか?
どこか「しなければならない」ことに引きずられて、本音を失ったまま生活している人も少なくないのではないかと思います。
照れくさいのは本音だから
自分から誰かを好きだと思うことは、負けたような気がする…と誰かが言っていたのですが、むしろそこで自分を誤魔化してなにもアクションできないことは、試合放棄することにはならないでしょうか。
好きになった時に「あなたの魅力に負けました」と素直に負けを認めた時、ようやく勝負の舞台に上がれるような気がします。
人に見せるのが照れくさい感情が芽生えた時、そこに本音が眠っているのではないでしょうか。もし本音を見失っていたら、自分の照れくさい部分を探ってみてはいかがでしょうか。
スローテンポでいこう
手紙のやりとりは、とても古典的な方法です。飛行機に乗るのが電話やメールだとしたら、手紙は馬です。馬は育てなければいけませんし、乗る訓練も必要です。昨日今日で突然できるものではないのです。
手紙も同じで、書く為には時間もかかりますし、読んでもらうまではもっと時間がかかります。メールのようにすぐ届いて、その場で読んでもらうよりずっと手間がかかるのです。
なので、読んでもらう時の彼の様子を思い浮かべます。メールのように「今ヒマ?ご飯食べた?」というリアルタイムな内容では書けないのです。しかし、手紙には、その時間や手間が編み込まれています。
悩んで時間をかけて書いた文面、届けて読んでもらうまでの時間、彼のことを考えて書いて封をしたそれには、メールとは違う価値が入っているのです。
時は金なり、と聞いたことがあると思います。時間はお金です。時間を失うことはお金を失うことのように尊いものです。またお金で時間を買うこともできます。
人を雇って家事をしてもらえば時間はあきますし、車ではなく飛行機を使えば移動時間の短縮になることもあります。
手間をかける、ということは例えそこに金銭が発生しなくても、その時間分の価値は発生しています。既製品を買った方が安いのに、わざわざ手編みのセーターを編むお母さんみたいなものです。
いくら気持ちをこめて送信ボタンを押したところで、彼に伝わるのはメールというデータです。価値があるようで見えないのがデジタル化です。
せめて、彼へ気持ちを伝える時くらいは、スローテンポでもいいのかな、と思います。あえて時間をかけて心をこめることによって、メールとは比べ物にならないほどの想いの伝達が可能になると思います。
アナログな方法はダサいのかもしれませんが、その照れくさい気持ちをちょっとだけ紙に書いて、彼に渡してみませんか? 今まで伝わらなかった本当の気持ちが、彼の心に届くかもしれません。