また前を向こう!共感して泣ける、失恋した時に観たい映画4選
今の自分の状況や気持ちにぴったりハマる映画は、明日を生きる活力を与えてくれるもの。
失恋した時も例外ではありません。
恋を失った主人公に共感できる、泣ける、また前を向こうと思える…そんな効力のある、とっておきの「失恋映画」を観ませんか?
全ての忘れられない恋のために。「エターナル・サンシャイン」
ミシェル・ゴンドリー監督。ジム・キャリー主演のアメリカ映画。
ジム・キャリーといえば、未だに「マスク」の3枚目キャラのイメージが強い人もいるかもしれません。
この映画のなかの彼もまた、決してかっこよくはない、失恋した情けない男。だけど等身大で胸に迫る切ない演技を見せてくれます。
主人公の男は、「終わるはずのなかった恋」が終わり、茫然自失の日々を送っていました。誰しも、「終わるはずのなかった恋」の記憶を持っているものではないでしょうか?ずっと続くと思っていた、自分史上最高の恋の記憶を。
だけど、そんな最高の記憶を消したいと思う唯一のとき…それが、失恋した時なのです。失ったことが信じられず、美しい記憶ほど喪失感を強めてしまう。こんなに辛いなら、いっそ記憶を消してしまいたい。
もし、それが可能ならあなたはどうしますか?
お願い、この記憶だけは消さないで
主人公の男は、別れた恋人が「記憶消去サービス会社」に、自分と付き合った記憶を消すように依頼したことをひょんなことから知ってしまいます。
あんなに愛し合ったのに。怒りにかられた主人公は、勢いで自分もその会社に依頼をして、恋人との記憶を消してもらうことに。器具を取り付けられ、主人公は深い昏睡に入ってゆきます。
「お願い、この記憶だけは消さないで」
彼の叫びは、恋人との忘れたくない瞬間を持つ全ての人の叫びではないでしょうか?
忘れたい。それでも忘れたくない。恋を失った時の葛藤の切なさを知らない人は、本当に恋をしたことにはならないのではないかと筆者は思います。
恋を失ったことのある人なら、結末の美しい物語性にきっと涙するはず。
現実にはありえないこと。そうわかっているからこそ、美しいのです。それこそ物語の中、映画のなかでしかできないことだからです。そのために物語は存在しているのではないでしょうか?
観終わったときに、そんな気持ちになれる「最高の失恋映画」です。
きっとまた愛を見つけられる。「ラブ・アクチュアリー」
リチャード・カーティス監督。ヒュー・グラント主演のイギリス映画。
19人の男女が織り成す、9通りのラブストーリーが同時進行するオムニバス映画です。
結婚したばかりの親友の妻にかなわぬ恋をする青年。秘書に恋をするイギリス首相。憧れの同僚と急接近するOL。初めての恋をする小学生の男の子。
登場人物もストーリーも多いのに、全く混乱させずぐいぐい引き込まれる巧みな構成。9つのストーリーはそれぞれ関連し合っていて、夢のような恋もあれば、心が痛むものもあり、どれか一つは必ず自分を重ね合わせられる恋の形が見つかるはず。
「クリスマスまであと○日」のカウントダウンのもと、それぞれの愛の形が進行していき、やがてクリスマスイブの当日に全てがクライマックスを迎えます。
気づきさえすれば、愛はどこにでもあるというメッセージ
「愛を信じられなくなったら、ヒースロー空港に行ってみればいい。いたるところで、再会を喜びあう人たちのキスやハグの嵐。人々は愛し合っている。実際、愛はどこにでもあふれているのだ」。
最初のナレーションが、この映画のメッセージの全てを表して言っていいのではないでしょうか。
この映画のなか出てくるのは、男女間の愛ばかりではありません。売れないロックミュージシャンと、彼に長年連れそうデブのマネージャーの、同志愛ともいえる「愛」。
再婚した妻に先立たれた男が、その連れ子の息子とのあいだに育む友情に近い親子愛。急接近しそうな同僚の男より、障害のある弟からの電話を優先する女性の兄弟愛。
男女間の愛でも、イルミネーションのようにきらきらしたときめき、秘めた切ない想いなど様々で、「愛というのはこんなにも色んな形や色合いがあるんだ!」と、宝石箱を開けたような気持ちにさせられます。
それはきっと、監督の「愛への信頼」とでも呼べるようなものがあふれていて、この映画に光を与えているから。
笑いも効果的なセラピーに
涙とともに、「笑い」もこの映画の大切な要素。
筆者はアメリカよりイギリス式のユーモアのほうが個人的に好きなのですが、この映画にはちょっとシニカルで独特の「間」がある、ブリティッシュユーモアが満載です。
愛への信頼とブリティッシュユーモアにくるまれた、幸せな2時間を過ごせる「ラブストーリーの最終兵器」です!
まだまだ、旅の途中。「百万円と苦虫女」
タナダユキ監督、蒼井優主演の日本映画。
「百万円貯まったら出て行きます」。
主人公は地味で、これといった熱意もなく生きてきたフリーターの20代女子。ひょんなことから、「百万円貯まるたびに次の場所に行く」と決めて日本各地を旅する生活に入ってゆきます。
ことさら社交的なわけでも、自立心が強いわけでも、能力があるわけでもない。どちらかというと人と関わるのが下手で、コンプレックスも強い。
そんな彼女が、いつのまにか誰かに助けられていたり、思わぬ事件に巻き込まれたりしながら、転々とする知らない場所で一人で生きていきます。
恋人を失ったばかりの時って、「一人のなり方」を忘れてしまっていたりしませんか?彼と出会う前はどうやって一人で生きていたのか思い出せない。これから、一人で生きていけるのかどうしようもなく怖くなってしまう。
等身大でリアルな恋のかたち
そんな主人公も、ある町で出会った同じ職場の男の子と恋をして付き合うことになります。
一緒に夕飯の材料を買いにいって、手をつないで家に帰る。そんな半同棲のような、おだやかで日常的な恋。蒼井優と森山未来のカップリングがとても自然で、いつかの自分の恋を見ているような甘酸っぱい気分になります。
だけど、それが長くは続かないことを二人ともどこかで分かっている。主人公は旅の途中で、彼も「百万円貯まったらこの子はいなくなる」ということを知っていていつもどこか不安を抱えています。
人生という旅の途中で出会う、旅人同士
そしてついに、あるすれ違いがきっかけで、主人公はその町を出ることになります。
結末は、人によっては「どうして?ハッピーエンドにしてよ!」と感じるかもしれません。だけど、人生が続いていくかぎり、本当はエンドなんてものはないと言えます。
ある意味でこの映画の結末は、ハッピーもアンハッピーもない、人生の当たり前を示したものではないでしょうか?
そしてそれが、ハリウッド映画のようなドラマチックな悲壮感をもって描かれるわけではなく、あくまでこの映画の「力の抜けた自立」を裏付けるような形であるのもリアル。
最後の主人公の表情を見れば、決してそれがアンハッピーなものではないことが分かるはずです。
同じ時間を過ごしたことに意味がある。「人のセックスを笑うな」
井口奈己監督。松山ケンイチ主演の日本映画。
恋は、理性で始めたりやめたりできないもの。松山ケンイチ演じる、19歳の主人公みるめは38歳の女性、ユリに恋をします。彼女は結婚している。
そして主人公の女友達は、そんな主人公に想いを寄せる。そしてその女友達に片想いしているのが、主人公の友達の男の子。
登場人物みんなが片想い、というなんとも切ない映画です。主人公とユリは、セックスもする付き合っているような関係ですが、つかみどころのないユリの気持ちは見えず、ほとんど主人公の一方通行。
報われない恋をする登場人物たちを、誰も笑う権利はない、そんな意味が込められたタイトルなのかもしれません。
恋の終わりはいつも、理不尽なもの
失恋したとき、誰もが「一体何がいけなかったんだろう」と何度も考えてしまうものではないでしょうか?
自分の言動を全部振り返ってみたり、「あの時ああすればよかったのだろうか」「彼は何を考えていたんだろう」「どうすれば戻れるんだろう」などと、思考が延々とループを描いて止まらなくなってしまう。
だけど、すっきりと明確な理由なんて決してわからないものです。恋の終わりはいつも答えがなく、理不尽。
この映画の中でも、主人公のみるめは、突然ユリと会えなくなってしまいます。何を考えているのかわからないユリの行動原理は全く描かれず、かわいそうなほどに振り回されているみるめ。
同じような経験のある人は、松山ケンイチの初々しい演技に自分を重ねてしまうかもしれません。
もう会えないことを、淡々と受け入れる
恋が終わってしまっても、オーバーな感情表現や台詞がないこの映画では、主人公のみるめは淡々とそれを受け入れているようなラストに見えます。
それが今時の男の子のリアルなのかもしれないし、そういう演出なのかもしれない。だけど屋上でもの思いにふけるみるめに、「会えないからって、終わるわけじゃない」というようなモノローグが重なるラストのシーンは、こんな哲学を表しているように思えます。
みるめとユリの、ささいな日常の時間。石油ストーブへの給油の仕方を延々と説明したり、クッションをふくらませるみるめをユリが邪魔してじゃれたり、寝転がって見つめあったり。
そういうシーンたちが、時には退屈に思えるほど長々と映し出されていたことも、その哲学を裏付けるためだったのかもしれません。
恋が終わることの理不尽さと、会えなくなったことを受け入れること。そんなことを学べる雰囲気に満ちた映画です。